“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

夕焼けとレインボーブリッジ(9/7放送分)

time 2017/09/09


◎今週の俳句テーマ『夕焼けとレインボーブリッジ』

最下位:才能ナシ


須田亜香里(SKE48)[35点]

七色橋 月を出迎え 海の宴

須田:レインボーブリッジが架かってるじゃないですか、レインボーブリッジって表現するんじゃなくて、あえて七色橋ということによって、より和風に。。。


夏井先生:“七色橋”って日本のどこにあるんだろう?とうっかり調べた自分が腹立たしい。レインボーブリッジって書けばいいじゃないですか、なにが、和風にした? 俳句は和風じゃないといけないという思い込みがすでにアウトです。やった配慮が全てコケてますね。こんな、実らない配慮ってなんだろう? レインボーブリッジって得することがまず一つあります。レインボーブリッジって書けば“海”って書かなくていいじゃないですか、みんなわかるわけですから、風景としてね。で、わざわざ書いて“うみのうたげ”ってここも字余りにしてるでしょ。ホント、つまらない。
(海と七色橋を消し)さっさと書けよ、と。“レインボーブリッジ”、そしてここですよ、“月を出迎え”。ここも“月を迎え”にしたら1音節約できるじゃないですか。節約しないといけないとこでせずに、どうでもいいとこを頑張ってるわけですね。

レインボーブリッジ 月を迎える宴(えん)

“うたげ”って言ったら音数多いから、ひとまず“宴(えん)”と詠みましょう。
でも、宴もね、漢字一文字別なものにすると、もっと具体的になります。例えば、“月を迎える舟”とやる、そうすれば舟の光景が浮かびます。“月を迎える酒”とやったら、みんなが酒を飲んでる、人も出てきますね。こうゆう細かな配慮ちゃんとやっていかないと、俳句の17音を使いこなすというのは難しいわけですよ。一から出直しましょう。

第4位:凡人


松原智恵子[50点]

落日に 人生の秋 重ねみる

松原:そろそろ私もだんだん人生の秋だな、というのを夕日がきれいに落ちてく、自分自身も光り輝いたまま落ちていきたいな、との思いで詠みました。


夏井先生:夕日を見ることで、自分の人生を重ねるという、こうゆう発想が凡人的な発想です。“人生の秋”、秋という季語が比喩として使われておりますので、季語としての鮮度というのはどうしても落ちてくるわけです。でもね、この句はね、ここにある言葉そのまま使って語順を変えるだけで、季語を季語として生かすということが簡単にできます。やります、“秋”と“落日”を合体させればいいだけ。“秋の落日に”、こう持ってくるわけです。そうすると、“人生の秋”は比喩だったけど、“秋の落日”になるとちゃんと季語として立ってきます、光景としても成立します。“秋の落日に 人生重ねみる”とすれば、一応言葉そのまま使って、季語を生かすことはできました。さらに、“重ねみる”というのがもったいないといえばもったいないんです。俳句にしている段階で、もう重ねてみているから、俳句になってるわけですね。そうなってみると、この5音がもったいない。いまのお話をじっくり聞いておりますと、これからの人生を静かにゆっくりと慈しみたい気分かな、と聞きました。例えば、この“重ねみる”のところをカッコよくすることもできます。“静かな余生”、余生の方が綺麗じゃないですか、人生よりは。“余生いま”、読んでみます。

秋の落日に 静かな余生いま

こうやると、最後の“いま”が『いまの私ですね』という風に、ここが共感を生むポイントになる。こうゆう風なかんじが松原さんに似合っているんじゃないかな、としみじみ思っております。

第3位:凡人


八嶋智人[55点]

宴をよそに 古の 赤い八月

八嶋:太陽に、夕陽にまず目がいったんですけど、そこから出る影って言うんですかね、その対比がやっぱりすごいなと思って。でも太陽は昔から一切変わらない。


夏井先生:私はこの句の中で、最も褒めていいのは“赤い八月”。これ、よい表現でしたねー。“赤い八月”という言葉には詩があります。しかし、最も詩がないのが、この上五。これだけ字余りにして、しかも“宴”をやってらっしゃると。あなたがね、宴してようが、酒飲んでようが、この句の場合はどうでもいいんです。これはさっさと帰ってください。(“宴をよそに”を消す)これさえ外せばあとの要素は素晴らしい。なにが一番ダメかというとここ(上五)なんですが、その次もったいないのが、“赤い八月”ととっても抽象的な言い方なんですが、いまの話を聞くと”古からずっと変わらない夕日”ってことなんですね? だったら、ここにそれが夕日であることを書かないと、全部が抽象的に終わってしまうだけなんです。センスはあるのに、やり方は知らないという。。。
八嶋:だって初めてですからね。(したり顔)その気持ちわかります(^^
夏井先生:直すよ! “古の”なにかというと、夕日なんでしょ?“古の夕日よ”と詠嘆して、“赤い八月よ”と詠嘆してみましょう。なかなかカッコいい句になります。

古の夕日よ 赤い八月よ

こうするとですね、赤い八月は戦後の終戦とか、原爆とか、お盆とか、人の生き死にのようなイメージを持ちはじめるわけですよ。こうなってくると”才能アリ”にシュッと行くやつです。

第2位:凡人


北山宏光(Kis-My-Ft2)[65点]

潮は満ち 盃満ちる 秋の暮れ

北山:屋形船でお酒を飲み始めたぐらいだと思うんですけど、潮が満ちていく時間帯に自分のお酒も満ちていく、それを飲みながら、という句。。。


夏井先生:“秋の暮れ”という季語が、最後にどっしりとしっとりと出てくるのがいいじゃないですか。ひとつ言っとくと、送り仮名ですね、季語とかに対する送り仮名は俳句特有の書き方なんですが、あえて送り仮名を外して、視覚的にここ(暮)で終わるという、視覚的な美しさを求めたりするので、“れ”は書かない方がこの一句の形としてはきれいだな、と。送り仮名の入れ方は俳句独特のやり方があるって、一つ覚えておくとよいかもしれません。
これ、やろうとしていることはホントにいいんです。もったいないところはたった一つなんです。潮は“満ち”てきますね、それは自然に勝手に満ちてくるわけですよ。盃というのは基本的な言い方は、誰かが“満たす”わけですね。だから、“盃満ちる”という言い方が一般的な考え方からすると違和感を感じると。まぁ、意図的にやってると好意的な解釈もできるんですが、でもこれはやっぱり盃からはじめた方が絶対得なんです、やってみます。「さかずき」だと4音ですが、この字一文字でで「はい」と2音でも読めますね。盃のアップから、“盃満ちる”じゃなくて“盃満たさん”と字余りで頭におきます。こうすると、『さぁ、盃を満たしましょうよ、さぁ飲みましょうよ』というかんじになります。このあと潮が出てくるわけで、

盃満たさん 潮の満ちくる 秋の暮

そうすると、盃のアップ、酒の匂いがしてくるじゃないですか、ああ、よい酒の匂いだな、と。口をつけた頃にゆっくりとまた潮の匂いが戻ってくるという。。。嗅覚の強弱のようなもの、遠近のようなものが、これでゆっくりと出てくる。そして全部を“秋の暮”という季語が全部を包み込む。こうやってくれると、あなたが(1位に)行ってたな、間違いなく。

第1位:才能アリ


ゆりやんレトリィバァ [70点]

秋夕焼け 影を落とした 大都会

ゆりやん:普段せわしなく皆さんが仕事とか、活動している大都会なんですけど、秋の夕焼けで影を落として、しんみりしている様子を詠わせていただきました。


夏井先生:はい、まず用語の点から片づけていきましょう。「あきゆうやけ」だと6音になるけど、これはもう、俳句の慣用的な音数を調整するための読みで「あきゆやけ」とするとちょうど5音になりますね。同じようなやり方で、大根のことを「だいこ」と読んで3音にするとか、燕だと「つばめ」で3音だけど、逆に「つばくらめ」とやって頭の五にスッと入るようにするとか、そうゆう俳句独特の季語のバリエーションがありますね。覚えておくと得ですね。そして、さっきも指摘しましたが、季語の送り仮名はその折々判断にはなりますが、この句の場合も“け”がない方が俳句の姿としては綺麗かな、と思いますね。

秋夕焼 影を落とした 大都会

まぁ、都会の風景の描き方として、多少あるかもしれないなという光景ではあるんですけど、語順がうまかったですね。“秋夕焼”で秋の夕焼けの空だけが映ります。そのあと“影を落とした”だから、夕焼けのことをもっと細かく描写するのかな?と思うと“大都会”が出てくる。となると、奥の画面にある夕焼けから、ずっと手前に広がってきて大都会のシルエットが見えてくる、そうゆう作りになってますね。そういう意味で語順の効果をよくわかって判断して作ってらっしゃる、それは大いに褒めたい、と。
(直しは“け”を消すだけ?)はい、その通りです。

名人3段


東国原英夫
[1ランク昇格]

秋夕焼 赤黒き 1000グラムの吾子

東国原:ちょっと『頑張って生きよう』というね、エールを送りたい句でもある。ちょっと新生児医療ってのを視察させてもらったときがあって、これから生きようとしてるんだけども、親御さんたちが『頑張れ』って、不安もある、希望もある、絶望もあるというのが、“秋夕焼”と“赤黒き”で表現してみました。“秋”と“赤”と“吾子”と韻を踏んで字余りにして余韻を残して、名詞止めさせていただきました。


夏井先生:この句の評価のポイントは、ここ“赤黒き”の位置です。
いやー、よく、こういうものが出てきたなと驚いています。まず、さっきの皆さんの“秋夕焼”もちゃんと消化なさってるでしょ。“け”を入れない、とかね。特待生・名人は当たり前に知ってることなわけですね。ここからまず始まる、と。“秋夕焼”のあと、“赤黒”という言葉が出てきた瞬間に読み手の脳は先走って映像を作っていくわけで、秋夕焼が赤黒いんだな、と先走しるわけね。そうすると、“き”というこうゆう言い方になる、連体形といって意味が下につづいていきますよ、という意味になる。そうなると、秋夕焼が赤黒いと思ったのに違うんですね、えっ?って思うわけね。そしたら、そのあと1000グラムという、なんだかわからないグラムが出てくる。ここで、なんというか、お肉?と思う人も出てくるかもしれないけどねw でも、そうでもないわけですよ、このあと衝撃の“吾子”、赤ちゃんが出てくる。しかも吾が子であると、たった2音で伝えてしまうんですよ。普通はね、2千なんぼ、3千近いとこで生まれてくるわけですからね、というと、低体重の保育器の中にいる赤ちゃんに違いないってことがスルスルスルってわかるんですよ。で、そこに看護師さん、お医者さん、スタッフの見守る視線、親の願い、こうゆうものが一気に立ち上がってくるでしょ、それらが全部秋の夕焼けという、希望も寂しさもいっぱい持っているような、こうゆう季語で受け止める。うまいもんじゃないですか、あなた。本当にお見事!
(直しは?)直すとこなんて、振っても出ない。

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