“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

読書の秋(9/14放送分)

time 2017/09/15


◎今週の俳句テーマ『読書の秋』

最下位:才能ナシ


田中道子
[30点]

読み耽り 月夜に響く 腹の虫

田中:過ごしやすい秋に、集中して本を読んでいたら、気付いたら夜になっていて、そこらへんの虫の音にまぎれて、お腹の虫も鳴ちゃったよ、っていう、かわいい等身大の一句。


夏井先生:“腹の虫”という言葉を俳句で使ってはいけないってことは一切ありません。俳句でやっていけないことは何一つないです。ただ、ちゃんと詩、詩情というものが一句の中に入ってほしいわけですよ。あなたのは詩情ではなく、単純に腹の虫が鳴った、チャンチャン、で終わりですね。本当なら、“腹の虫”を最初に消したいんですが、これを消してしまうと、作者の言いたいことが言えないってことになるし、えーとね。。。
田中:そんなに困んないでください。。。
夏井先生:困るよ。困ったときは韻を踏む。おっと出来そうになったぞ。“り”じゃなくて“る”がいいかな、“読み耽る”。(“響く”を消して)響かなくていいです。

読み耽る 月夜の虫は 腹の虫

“虫”“虫”と韻を踏むだけで、ちょっと俳句ぽい空気は出てきます。
オノマトペ(擬音語)でごまかすこともできる。
田中:ごまかす?
夏井先生:ごまかすしかないだろうよ!

読み耽る 月夜くうくう 腹の虫

田中:わー♪
夏井先生:わー♪って言うほどのものじゃないよ。こうやったって最下位だよ!
一同:(笑)

第4位:凡人


二階堂高嗣(Kis-My-Ft2)[50点]

感想を 笑顔で語るや 釣瓶落とし

二階堂:これ17音じゃないんです、ちょっとはみ出しちゃってる。いままでと(違って)ちょっと攻めました。“釣瓶落とし”が季語なんです、これって日が暮れてしまうこというんです。だから、お互い交換した本の感想を言い合ってる間に瞬く間に日が暮れてしまう、という。。。


夏井先生:あの写真からですよ、“釣瓶落とし”という季語を発想できるようになったところを、辛うじて褒めておきましょう。この季語のおかげで時間経過ですとか、あの写真の窓の外の様子とかを少なくとも想像できるわけですから、ここは褒めよう。
しかし、問題が2つほどあります。ひとつ、これ“感想”、なんの感想か全然わかんないわけですよ、写真見てる人には。映画の感想かもしれないし、窓の外を歩いてる女の子の感想かもしれないし、本を読んだあとの感想だとちゃんと入れないといけない。ここがきちんと入ると、今度“笑顔”とかそうゆうことはほとんどいらなくなります。『どんな本なのかな?』とか、読み手が勝手に想像し始めますからね。まず感想が「本を読んだあとの感想」であるというのがひと言でわかる言葉、知ってるね?
二階堂:本!?
夏井先生:聞いた私が悪かった(苦笑い)「読」んだ「後」と書いて“読後感”といいます。そうしたら、これ一発で、あなたがなにをして、どんな感想を言おうとしているのか、この漢字3つで入ってしまうわけです。そうなってくると“笑顔で”とか言うと損ですね、どんな深刻な本を読んでるかもわかんないし。ですから、“読後感”で、さっさと語ってください。

読後感 語れば 釣瓶落としかな

詠嘆ですからね、あっという間に暮れましたよ、と。
もう一つ、この“釣瓶落とし”を強調するやり方、もっと『あー、こんなに!』というときに“早”って置いてもいいかもしれません。

読後感 語れば 釣瓶落とし早(はや)

“釣瓶落とし”はあっという間に夕日が沈むことを言うんですが、あえてダメ押しのように“早”というのを置くことで、別の意味な強調をすることもできる。
二階堂:すばらしい。読後感なんていったことないですもん。
一同:(笑)

第3位:凡人


銀シャリ・橋本
[50点]

喧騒に 栞挿みし 秋の昼

橋本:ランチタイムといいますか、ちょっと忙しい中に、こう、本に栞を挿むのと、自分の時間に栞を挿むという、ちょっとしたオシャレさですね。秋の昼間、仕事と仕事の間に空いてる、空きの昼間もちょっと掛けてみました。
梅沢:これだと、周りが大騒ぎしてうるさいから栞を挿んで休憩する、みたいに読んじゃうから、読み手は。“喧騒に”を使うんだったら、もっと違うことしなきゃ。


夏井先生:名人エライ! これ、すごくもったいないんですよ。やろうとしている発想は面白いです。喧騒というのは、人のざわめき・街の音とかですから、そこに栞を挿む、発想がいいじゃないですか。ところが、“喧騒に”の“に”には2つ意味があるんです。1つは原因・理由。喧騒のせいで、という原因・理由の意味と、もう1つは、喧騒が対象物というか、この“挿む”が何に挿むか、“喧騒に”という、そういう意味の2通りあるの。で、作った本人は2つめの意味だけで作ってるけど、もう1個の意味があるから名人の言う読み方が当然出てくるわけ。この読みはあんまり面白くないから、あなたの意図通りに持っていったらよかっただけなんですよ。そして、どうしたらいいか分かりますね?
橋本:“喧騒”を変えたらいいんですよね?
夏井先生:違うよ(笑) この助詞1個変えるだけ。“に”に近い助詞で“へ”という助詞があるんです。「へ」というのは方向を示す助詞ではあるんですが、それと同時に、どこに栞を挿むか、という帰着点を言ってくれるわけです。

喧騒へ 栞を挿む 秋の昼

こうなると、間違いの読み、あなたの意図しない読みは全部なくなります。これさえやってくれれば、今日は(”才能アリ”に)シュッ。これも、将来性がたっぷりある凡人です。

第2位:凡人


鶴見辰吾[61点]

色褪せた 野菊の墓の 涙あと

鶴見:古本の『野菊の墓』という小説を読んでいて、とあるページに差し掛かったら誰かがこのページで泣いたんだろうなっていう涙の痕があった、人が感動するところは同じなんだなと思いながらも、色褪せた古い誰かのお墓に野菊が一本挿してあって、そこのお墓に故人をしのぶ涙のあとがあった、という両方の意味を掛けた。


夏井先生:ホントに難しいことをやろうとしているので、まぁ、これどうやって直したらいいんだろうと悩みますね、今の話を聞くと。これが本の名前でしたら、カギカッコでちょんちょんと括ってですね、“色褪せた『野菊の墓』に涙あと”ぐらいにすればよいかなと思ってたんですが、いま話を聞くと、ちゃんと映像にもしたいってことですね。その考え方の路線で行くと、良いことが1つあります。この”野菊の墓”が単なる書名になると、この“野菊”という季語の鮮度がやっぱり落ちるわけですね。本物の野菊じゃないですからね。だから『野菊の墓』の本を言いつつ、“野菊”を生かすという。。。何でこんな面倒臭いこといんだろう、この人。
一同:(笑)
夏井先生:えーとですね、“色褪せた 野菊の墓”、ここまでが本のイメージに寄せている言葉、最後の“あと”というのもどちらかというと、本に落ちている涙のあとのイメージが強くなるので、この2音“あと”を消したら何とかなりそうな気がする。。。
人間が実際の墓の前にいるというイメージを、動詞一つ入れてみましょう。

色褪せた 野菊の墓に 置く涙

こうすると、この“置く”の部分が、故人をしのぶというような気分になりますね。でも、これ、今回凡人でしたけど、発想などは将来性が十二分にある凡人だと思います。

第1位:才能アリ


増田恵子
[70点]

カフェ独り ニーチェの頁(ページ)めくる秋

増田:恋人と待ち合わせをするんだけど、いっつ待たされる身で、ニーチェを読みながらドンドン自分がニーチェのように、哲学者のようになっていかないと、この人とは付き合っていけないな、とそういう私の気持ちを分かれよ! という、そんな気持ちを書いた。


夏井先生:まぁ、キレイに出来あがりましたね。季語からおさえると、ずっと最後に“秋”という季語が出てきます。時候の季語ですね、こうゆう時候の季語は映像を持っていない、時候という空気とか雰囲気とか、そうゆうのだけなので、映像・音・におい・感触を必ず取り合わせるのが定石なんですね。それを丁寧にやってくださっています。“カフェ”という場所、“独り”という状況、それから“ニーチェの頁”ということで、固有名詞も出てきますし、それが本だということもわかる。最後“めくる”という動作も出てくる、それらがお互いを殺し合うことなく、1つの世界を作っている、と。それらを“秋”という季語がスッと受け止めるわけですね。秋の物寂しさ、ちょっと冷え冷えとした空気のかんじとか、この季語でスッと出てまいりますので(作者は)手慣れた方なんじゃないかなと思ってたんですが、本当に初めてなんですか?
増田:初めてで、先生の本2冊買いました。
夏井先生:あら、それは素晴らしい。
一同:(笑)
夏井先生:本は2冊だけではないので、よろしくお願い致します(^^

名人7段


梅沢富美男[1ランク昇格]

夜学果て まだ読みふける おとがひよ

梅沢:“夜学果て”、夜学の授業が終わったんですね、ふっと振り向いたら女の子がまだ一生懸命本を読んでいる。“おとがひ”というのは顎のこと。一生懸命読んでて、言葉は出さないけど、口が動いてる、それをジーッと見てる、という句なの。


夏井先生:この句のポイントは、まさにここ“おとがひ”、です。
まず季語から押さえましょうかね。“夜学”これが秋の季語になります。秋の夜は長い、そんな意味もあるんですが、夜学校に集って学ぶというのも季語なんですね。そして、問題の“おとがひ”です、“ひ”って書いてあるのは歴史的仮名遣いという、現代の仮名遣いではないので、“ひ”と書いてありますけども「おとがい」と発音します。で、気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、この句の中に女の子という情報がどこにも入ってないですね。入ってないですけども、ご本人は女の子をイメージしてらっしゃる。女の子をどこで表現しているかというと、この(句の)後半をひらがなで書くという表記で想像をさせようとしてるわけです。この“おとがひ”というのを、仮にですよ、漢字で書いたら一句がどんな効果になるか、書いてみます。「頤」、こんな字を書くんです、これ一文字で「おとがい」ていうんです。しかも、“読みふける”は、さっきもでてきたけど“読み耽る”ですね。これ、頭の中で想像して、“夜学果て まだ読み耽る 頤よ”。女子高生や女の子を思い浮かびにくくなりませんか? じゃ、どうゆう学生を思い浮かべるようになる、こうなると?
私は、この字面だったときに、働きながら苦学をする、でも真面目に学ぶ、そうゆう人物を想像しますね。でも、全部ひらがなで書くことでたおやかなイメージが出てくる。こうやったところを本当に褒めたいわけですね。
これから、さらに上の師範を目指すわけですから、1個だけアドバイスします。
ここ(中七の)“まだ”というところ。これがね、もったいない。本当ならここはね、“なほ”、これも歴史的仮名遣いで“ほ”と書いて「なお」。意味がどう変わるか、どっちも以前の状態がそのまま続いているという意味ではあるんですが、「まだ=未だ」の意味になるから、”まだ…できていない”というニュアンスになるの。でも、“なお”にすると、”もっと・一層”という、そうゆうニュアンスになる。そうすると向学心の方向が違うじゃないですか。

夜学果て なほ読みふける おとがひよ

こうゆうふうにすると、この“なほ”の歴史的仮名遣いと“おとがひ”の歴史的仮名遣いが呼応いたしますね。ここまでのニュアンスがちゃんと使いこなせるようになると、プレバト師範も見えてくるようになるのではないでしょうか。
梅沢:うれしい、うれしい!!

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