“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

線香花火(7/27放送分)

time 2017/08/02


◎今週の俳句テーマ『線香花火』

最下位:才能ナシ


長野美郷
[25点]

行かないで 浴衣でしゃがむ 想い人

長野:線香花火というと、儚い、切ない気持ち。だから、いま好きな人がいて恋をしていて、一緒に線香花火をしているんだけど、まだその想いは届いていなくって、もうすぐ終わってしまう夏と線香花火と叶わない恋、そうゆう切ない想いを詠んだ句なんですけど。。。


夏井先生:なんか一見、なんか書いてるんですけど、読めば読むほどわからなくなる。まず“行かないで”って絶叫に近いじゃないですか。『行かないでっ!』って。誰かが行こうとしてるから『行かないで』って言ってるわけでしょ? 多分それはこの“想い人”に向かって言ってるんだろうと全部読んで思うんですが、その想い人は“浴衣でしゃがんでる”んでしょ? 行ってないじゃないか!
ひょっとしたら、自分が浴衣でしゃがんで『行かないで』って叫んでんのかなと読んでみると、最後の“想い人”はどこでなにをしてるんだ、と。ましてや、あなたが仰るように一緒に線香花火を囲んでる中に好きな人がいて、なんてどこにも一言も書いておりませんのよ。細かい場面を少しづつ画にしていく、こうゆう姿勢が大事なの。線香花火の輪の中にその人はいるんでしょ? その場面から丁寧に切り取る練習をしてください。これは練習の問題です。
長野:はい、練習します。
夏井先生:いや、口で言うだけでできないから、まず私がやってみせるね、いい? 想い人、ここで“あり”と言い切りましょう。どこにあるのか?“行かないで”は別の句で勝手に使ってね。(削除)この想い人はどこにいるかというと、線香花火の輪の中にいるわけでしょ? “線香花火”って言ったら長いけど、“手花火”と言ったら4音で言えます。浴衣もね、自分で勝手に着ていただいて(削除)、

想い人あり 手花火の輪の中に

こうすると、少なくとも最初にあなたが言った映像は切り取れるわけですね。手花火の輪の中に想い人がいる、そしておもむろに、次に“行かないで”って句を作ってみてください。それで練習してみてください。

第4位:凡人


ヨネスケ
[50点]

手花火の ニオイで想う 母の顔

ヨネスケ:亡くなった母親が一緒に線香花火してくれたんですよ。その時は煙の匂いが鼻に来た。あっ、おふくろにこうやってもらったよなぁ、って。名人しかないでしょ、これ。


夏井先生:この句は、今回の中で凡人中の凡人の発想です。別の言い方をするなら、King of the ド凡人、という言い方になります。花火っていうと、なぜかお母さんを思い出すという句は、掃いて捨てるほどあります。さらに言わせてもらうと、“で思う”は散文的で、もったいないですね。さらに私がわからないのは、“ニオイ”をカタカナで書くのか、芳香剤じゃあるまいしw “匂い”とちゃんと漢字で書くと、ここに気分も生まれますね。“匂いよ”と詠嘆してみましょうか。“で想う”なんて言う必要はありません。で、お母様の生きてるときを思い出してるわけでしょ? となったときに“母の顔”ってのがベタなわけですね。“母の在りし日よ”と、また詠嘆してみましょうか。

手花火の 匂いよ 母の 在りし日よ

こうすると、まぁ、発想はベタながら作品としては少し整ったかんじにはなります。しかし、直してもベタはベタ。そこは変りません。

第3位:凡人


石田えり[55点]

火花散る ときを乗り越え 庭花火

石田:多くの諍いを、みんな心当たりがあると思うけど、火花が散るような多くの諍いを乗り越えて、人間的にも成長し、それで庭花火をこう。。。(笑)


夏井先生:中七がやっぱ抽象的です。“ときを乗り越え”、下手な三文小説にこうゆう言葉よくありませんか。勿体ないわけですよ。これ、言いたい内容がすごくたくさん入ってるんで、上五がちょっと字余りになりますけども、字余りを置いてから全体を整えてみましょうかね。
“火花散らせし”ってやったら、「散らした」と過去の出来事の意味になりますね。上五を字余りにして、“ときを乗り越え”この言い方はどっかに取っておいてもらって(ばっさり消す)、ちょっとだけ実感を入れます。“日々もありけり”、ここでカットがばっちし切れて、“庭花火”の光景にバンっと行く。

火花散らせし 日々もありけり 庭花火

そうすると、案外“庭”の一字が効いてくるんですよ。小さな庭のある家で、色んな火花を散らした日々もあったけれども、いまはこうやって小さな線香花火を楽しむ時代を迎えている、と。
これ、直すとけっこう味わえるかんじですね。こうゆうタイプの人は俳句のメカニズムを覚えると伸びる可能性はあります。

第2位:凡人


ケンドーコバヤシ
[60点]

夏惜しむ 落ちてく火球 チリリチリリ

ケンドー:さっきからベタという発言が飛び交ってますけども、ベタも大事なんですよね。花火の、どんどん小さくなってポトッと火球が落ちたときって寂しいじゃないですか。『あー、夏ももう終わりやな』、その気持ちを大事にしながら、こう、“チリリチリリ”。擬音で勝負してしまう(笑)


夏井先生:冒険はわかりますよ、十分。ただ全体を見た時、問題になる言葉があるんですが。。。“火球”ってありますね、火球というのは辞書的な意味で言うと、明るい流星を意味するという方がちょっと強いわけです。そうなってくると、これ、隕石が落ちてくる句だと読まれる可能性もある。で、「かきゅう」と読んで流れ星だと思われたらいけないので、“火玉(ひだま)”とゆう、こっちの字をお使いになると誤読、間違った読み方が誘発されないと思います。
そして、もうひとつ大事なところを押さえましょう。季語は“夏”じゃなくて、“夏惜しむ”全体が季語になるわけです。映像を持たない季語から始めるか、“落ちてく火玉”という映像から始めるか、判断の分かれ目になるわけです。私なら映像からいくと思います。映像からですよ、“落ちてく火玉”、これ(チリリチリリ)工夫はわかりますが、中七におくから“チリチリ”にしちゃいましょう。“落ちてく”じゃなくて、“落ちてゆく”にすると、ここ音数整いますね。

落ちてゆく 火玉 チリチリ 夏惜しむ

こうすると、最後に“夏惜しむ”という映像を持たない季語に対して、読み手は感慨を一緒に共有できるようになる。ただ、下五の“チリリチリリ”も悪くないので、これはこれで、別の一句にして、自家栽培で味わっていただければいいと思いますよ。

第1位:才能アリ


北原里英(NGT48)
[70点]

静寂に 火薬の薫り 夏終わる

北原:線香花火が、ポトッと落ちたときに一気に「シーン」ってなるじゃないですか、それまでが嘘みたいに。そこで訪れた静寂に、夏の終わりの儚さを感じるという。。。


夏井先生:この句の中で一番褒めないといけないのは、“夏終わる”これ全体で季語になりますね、「夏の終わり」って季語になるわけですが、映像を持たない季語です。映像を持たない季語を表現するのに、“火薬の薫り”=嗅覚で表現しようとしている、そこに詩を発生させようとしている意志がしっかりと見えますね。そこをまず褒めましょう。で、一番問題点としてはね、“に”がね、上五の最後が“に”になるのは非常に説明的・散文的な意味合いになってしまうので、一回立ち止まって、ここ“に”以外ありえないかなって考えてほしいんです。そうしたら、どうするか?“夏終わる”から始めます。夏が終わります、火薬の薫りがしてまいります、“薫る”と動詞にします。そのあとに“静寂”をたっぷり味わうわけです。“せいじゃく”というと4音ですが、“しじま”とゆうふうにも読むんで、“かな”と詠嘆してみます。

夏終わる 火薬の薫る 静寂(しじま)かな

静寂の中に、すっーっと火薬の薫りが残っている、“かな”という最後の詠嘆も綺麗ですね。

名人2段


東国原英夫
[現状維持]

牛売られ 牛舎の隅の 庭花火

東国原:これね、“庭花火”という季語が持っている、侘しさ、悲しさをね、牛が売られていく、そして牛舎には何も残らない、香りもする、寂しい所に庭花火。これ、“牛売られ”というのは、畜産農家にとっては、嬉しかったり悲しかったりする、複雑な気持ちが、最後の下五の“庭花火”に込められている。ハァァー(感心の溜息)


夏井先生:この句の評価のポイントは、“売られ”、ここです。
まぁ、詰めが甘い。というのは、その通りなんだけど、褒めなくてはいけないところもやっぱりあります。さすが名人だな、と思うのは他の人たちと発想のレベルが全然違いますね。あの写真の外にいったい何があるのか、かなりダイナミックに発想を持っていってくれている、とやっぱり褒めないといけない。
で、どこが詰めが甘いのか? ここなんですよねー、「売られた」というのはなにかというと”状況”です。俳句の場合はそれを映像にするのが基本の姿勢なわけです。売られるとどうなるんですか?
東国原:牛がいなくなるーorz
夏井先生:その通りです。“売られ”じゃなくて、“牛おらぬ”でいいじゃないですか。“牛おらぬ 牛舎の隅の 庭花火”、これで一番まずいとこが直ります。で、もうちょっと詰めさせてください。梅沢富美男を打倒したいんでしょ?
“庭花火”という季語を随分自慢してましたけども、“庭”という情報と“牛舎の隅”という情報、どちらも場所に関係する情報がダブルわけですね。それもとってももったいないと思う。“牛舎の隅”ここを生かすなら、“庭”をやめて“手花火”という季語があります、線香花火のことを手花火というんですが、“手花火す”なんてやると、“牛おらぬ 牛舎の隅に 手花火す”。ひとまず、情報のダブりが解消される。
ダメ押ししていいですか?
“隅”ももったいないです。なんで、この人牛舎の隅でやるんだろう、牛がいなくなったとはいえ。牛舎の隅のあたりに何があるか、“闇”がある。

牛おらぬ 牛舎の闇に 手花火す

こうすると、この闇は牛の匂いの残る闇だとわかる。そうすると、この闇と手花火の対比も非常にはっきりとしてきます。ここまでやってくださったら、一つ(ワンランク)上がります。
東国原:“おらぬ”に、なぜ気付かなかったかなぁ。。。(><)

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