“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

海と駅(7/13放送分)

time 2017/07/14


◎今週の俳句テーマ『海と駅』

最下位:才能ナシ


北山宏光[35点]

青割れて 見惚れる背にも 青嵐

北山:海がね、空と海で青は青だけど、それが雲がないことによってすごく綺麗に割れているってことで“青割れて”いる。それを見ているときに、背に山があって、そこから吹く風、緑の青々しい風が吹く。で見惚れてる。。。いや、もう何も言えない、わかんなくなっちゃった。


夏井先生:いやー、いい所まで行ってるんだけどねぇ、一番自分的に押したかったのは“青割れて”という発想ですよね。これが悪いわけじゃないんですよ。季語“青嵐”を活かそうとしているわけだし、「青が割れる」この詩の言葉まではいいんですよ。ところがね、もう全員が同じ気持ちだと思いますが、これがパッと出てきたとき“青割れて”ってなに? 何の青ですか? 青嵐が出てくるから、青嵐割れますか!? みんなそこでキョトンとするんですよ。いまお話を聞いてわかりましたよね、青が割れる、なにかというと水平線なんです。書きゃいいんだよ、もったいない。素晴らしい発想を自らドブに捨てたみたいな句ですよ。一番罪深いのは、いわなくてもいい中七。勝手に見惚れろ、ってかんじよ。(ざっくり削除)青嵐からはじめましょうよ。青嵐がガーと吹き荒れます。青嵐は山に吹くわけですから、“青嵐”、このあとに水平線が出たら、山から水平線まで奥行きが一気に生まれる。“水平線に”と明確に書きましょう。このあとに、ひっくり返るんです。

青嵐 水平線に 割れる青

最後に“青”がポーンと出てくる。水平線に割れる青ってなんだ? あっ、海と空だよ。青嵐は背中だとか、見惚れるだとか、言わなくても、ちゃんと背中の方から青の水平線に向かってガーって吹いていくんですよ。あなた、一歩間違えずにここまで辿り着いたら、間違いなく一位だったよ。

第4位:凡人


藤井隆
[55点]

手のひらの 帰りのキップ 潮の香り

藤井:お写真にある男性ですね、彼が早めに帰らないといけない、友達より先に。その時持ってた帰りのキップが、『もうちょっと海に居たかったのになぁ』と思ってたら、キップから潮の香りがしたっていう。。。


夏井先生:季語がないってのは残念極まりない。ただね、上五・中七はいいですね。こんな短い言葉で状況が非常にコンパクトに切り取れてますね。手のひらに帰りのキップがあるよ、これから汽車なりバスなりに乗るってのもわかりますし、その最後、握っていたキップから潮の香りがするというイメージの作り方も悪くないんですよ。だから、これは季語をうっかり入れ忘れた、そう意味での、4位とはいえけっこうな点数はついてるはずですよ。(直しは)非常に簡単なことです。“香り”は言わなくても季語を入れると香ってきますからね。“夏の潮”と入れるだけなんです。

手のひらの 帰りのキップ 夏の潮

こうやったら、キップは握りしめてるんだけど、駅かもしれない、もう汽車に乗ってるのかもしれないけど、さっきまで楽しかったな、夏の海、夏の潮が見れるわけじゃないですか。香りも当然一緒に連れ添ってくるだけじゃなくて、光景も一緒に残っていくわけだから、その場所から離れていってしまうという思いも、上五・中七で生まれますね。
この人、基本的にはセンスある人だと、私は思ってます。さっさと歳時記買って季語勉強しなさい。
一同:(笑)

第3位:凡人


小島瑠璃子
[57点]

遠のく音 初夏は幻 海は凪

小島:恋人が電車で去ってしまっていくのを詠んだ句です。「ひと夏の恋」で“初夏は幻”という表現で、その儚さと海の静けさを掛けて詠みました。電車が遠ざかって行くのを音で(表現)。


夏井先生:意外な展開ですね、本当に大人っぽい俳句。ただね、問題点が2つほど。まず一つは、俳句特有の問題点なんですけど、“音”で切れて、“幻”で切れて。。。
鳥越:三段切れか!
夏井先生:そう、”三段切れ”。よくご存知ですね。5・7・5の終わりでブチブチブチと切れる。17音しかない調べに3回も切れるのは調べとしてもったいない。これが一つですね。
もう一つはね、“遠のく音”と“幻”という、この抽象的な単語のイメージがかぶさってくるわけですよね。凡人というのはね、俳句を書こうとするとね、「夢」とか「幻」って書いたらやった気になるのが凡人なんですよ。だから、この2つを改善するということにおいて、さっさと凡人的な“幻”を消しましょう。そしたら、「ま・ぼ・ろ・し」で4音も使えるわけですからね。“遠のく音(ね)”と無理やり詠んでるけど、”おと”って詠んだ方が綺麗ですね。ここをね、“遠のける”と。遠のいていくという意味ですよ。“遠のける音”、ここで一回カットが切れる。ここ“初夏”、”しょか”と読んでもいいんですが、“はつなつ”と読むと言葉が綺麗ですね。(上五が)“音”という漢字で終わるので、普通俳句は1行に書きますから、その下をひらがなでね“はつなつ”と書くと綺麗ですよ。

遠のける音 はつなつの 海は凪

こうすると、最後に凪の光景が入りますね。
小島:先生、5・7・5はもう気にしなくていいということですか?
夏井先生:ちゃんと5・7・5の調べの中にパッキングされていますよ。“遠のける”で5音、“音”で中七に入っていくわけです。“音 はつなつの”で7音でしょ、“海は凪”で5音、足すと17音にするという技なんです。7・5・5という調べも俳句の中の応用技なんです。

第2位:才能アリ


鳥越俊太郎
[70点]

紺青の 先に羅府あり 夏の海

鳥越:パッと海を見た時に、海の向こうに何があるんだろう? と最初思ったんです。それでパーッとロサンゼルスの街が浮かんできたんです。だから、電車とか駅とか一切消えて、ロサンゼルスの町とサンタモニカの風と、そうゆうのが浮かんできたんで。


夏井先生:“羅府”と書いて”ロス”、素晴らしいですよー。あの、それぞれの言葉のイメージが近いところにあるんですが、すごくバランスがいいんですね。“紺青”という色でしょ、ロサンジェルスという(場所)、漢字で書くとこも粋ですよね。それから“夏の海”と。それぞれイメージが近いところにあるんだけど、決してイメージが小さくなってないわけですよね。そうゆうところが”才能アリ”の句だなぁ、と思いますね。
で、もったいないのは小さなことなんですけども、“紺青の先”がカッコいいのは間違いなくカッコいいんです。ただ、17音全部読んだときに、紺青=海のことですよね。(最初と最後で)これだけ距離があるというのは、イメージを構築する上ではちょっと損してる。たとえば、こんな方法もありますよというのを、一つやってみますね。
“紺青”から始めないで、“夏”から始めてみる、しかも夏と海を切り離してみます。
“夏の”から始まって、“羅府”といきなり持っていきます。“夏の羅府あり”と、まず先に自分の見たもの・発想したものを言うわけです。ここで断定すると、『この断定はなんだろう?』って詠み手はふっと引き込まれるわけです。そこから映像を整えていきます。“紺青の”、ここから映像を作るんですよ。

夏の羅府あり 紺青の海の先

こうすると、視線が先にずっと、読み手の視線もずっと最後、残るわけです。そうすると、“先”って言いきったあとにもう一回“夏の羅府あり”という断定に戻ってくるという。。。そうゆう効果が生まれる。
こうゆうことが使い分けられるようになると、特待生はすぐ目の前。

第1位:才能アリ


筒井真理子[73点]

固きベンチに 影と張り付く 夏の駅

筒井:ホントに明るい水平線と空の青、その中で影を落としているベンチが気になって、世の中すごく浮かれてるんだけど、自分だけ一人ぼっちになっちゃったみたいな気持ちと、駅を調べたら下灘駅という駅で伊予の駅なんですね。瀬戸内海で向こうは広島なんですね。夏の季語って『終戦』の意味があるので、原爆のときに光で影みたいに張り付いたという意味も、平和を祈って。


夏井先生:偉いねー。というか、ちょっと嬉しかったのは、日本一海に近い駅『下灘』は私が住んでおります愛媛県の駅でございまして、1位と特待生がそれ調べてるってやっぱり違うね。やる気が違うよね。しかも、この句はね、とても奥行きのある句ですね。形を確認すると、“かたきべんちに”で字余りを7音で処理して、そのあとを7・5と調べを取り戻す。その調べの作り方も定石にかなったものになってますね。この句の中で一番のポイントになるのは、中七“影と張り付く”というこの言葉です。影があるんじゃなくて、影とともに私が張り付いている、私という存在が張り付いている。ここ奥行き深いです。孤独かもしれないし、やっぱり原爆、ピカドンのあの一瞬かもしれないし、そうゆう想像を読み手にさせる。そうなったときに、こっち(上語)から始めるか、こっち(中七)から始めるか、ちょっと悩ましいところであります。私ならこっち(中七)から始めるかな、と思います、どうせどっちも7音ですからね。“影と張り付く”、それはいったいどういうことだろう?と思うと、実景が出てくる。“固きベンチや”、詠嘆してベンチの固さを強く言うことによって、影と共に張り付いている私の存在、その感触というのは強くここで強調される。

影と張り付く 固きベンチや 夏の駅

最後、“夏の駅”とベンチと私を取り囲む光景が出てくる、そうすると、ますます原爆かもしれないな、という気持ちも湧き起ってまいりますね。
この方の発想というのは見事なものだなと、今回感心致しました。

特待生5級


中田喜子
[1ランク昇格]

空蝉の 転がるベンチ 海の駅

中田:晩夏といえば蝉の抜け殻を思い出しまして、ちょうど季語になるんですね。そして、固いベンチに空蝉が転がってる風情がなんとも晩夏となるかな、と詠みました。


夏井先生:この句の評価のポイントは、中七のここ“転がる”が機能しているか、否か?
ちゃんと機能しております。頭で“空蝉”という季語が出てきます。蝉の抜け殻のことですね、晩夏の季語という風に説明をしてくださった。なにを一番褒めないといけないかというと、あの写真のどこにも蝉の抜け殻なんて写ってないですね。あの写真の中にきっとこうゆうものがあるにちがいないと、小さな季語を想像の中で見つけ出してくるのが、特待生とそこら辺の方々との大きな違いになりますね。まずこれを褒めましょう。
それから、全体的にみると空蝉という季語、ベンチというモノ、これだけでだいたいどうゆう場所か、ぼんやりと想像できるんですが、“海の駅”という光景を広げていきますね。ここ、ごちゃごちゃと必要以上のことをやってしまうと、逆に季語“空蝉”の鮮度が落ちてくるので、それなりにいい着地だったと思いますよ。
なによりも褒めないといけないのは、この“転がる”という描写ですね。普通、空蝉というのは、蝉が殻を抜くために足を踏ん張って張り付いて、そこにくっついてるわけでしょ? 転がってるってことは、風邪に吹かれて落ちたか、ひょっとすると汽車を待っていた人、子どもとかが空蝉をポンとそこらへんに置いて汽車に乗っていっちゃったとか、“転がる”って動詞だけでいろんなことを読み手が想像できるわけです。「落ちる」とか「ある」とかの言い方ではなく、“転がる”という描写の言葉を見つけてきたのも褒めないといけないですね。
特待生の皆さんは丁寧に言葉を吟味して作ってらっしゃる、大したもんですよ。
(直しは?)要りません。

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