“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

第一回金秋戦~上位編(10/12放送分)

time 2017/10/18

今回は、季節に一度の、名人・特待生が集結するタイトル戦、秋の“第一回金秋戦”です。


第一回金秋戦のテーマ『紅葉』

下位編はこちら。

第4位


中田喜子
[特待生4級]

東天の 池の底まで 紅葉降る

中田:“東天”というのは東の空のことなんですけども早朝という意味もあるんですね。そうゆうときに、池の底まで紅葉が散っている様子を詠んだんですけど。これを詠むときに今回の兼題が紅葉の葉っぱ一枚でしょ、どうしても朝露のようなイメージがあったんですよ、私。いつもお昼ごろに句を詠んでるんですけど、朝5時半から句を詠みだしたの。


夏井先生:丁寧に綺麗に詠まれていると思いますよ。まず“東天”という言葉もきれいですね。東の空、日が昇りはじめて朝の光も見えてきますね。惜しいところはやっぱり少しあるんです。何が惜しいかというと、“東天”、視線は東の空の光の方に向いてます。そこから“池”という場所にいきなりボーンとくるわけです。そこの距離というものの視線の誘導がちょっと極端だなぁ、と。そこが一番もったいないところです。これね、漢字一文字変えると、もっと美しい、スムーズな視線の誘導ができるようになります。これをね、“池”ではなく“水”というものに変える。そうすると池という場所ではなくて、東天の光が水に映ってゆく。その水の底、作者の目がね、水底にあって、上から降ってくる朝の光の中を紅葉が落ちてくるような、水底に目を向けることがこうするとできるわけです。そうすると、中田さんのね、発想が活きてきます。さらに、それを活かすとなったら(最後を)反対にするのもありです。

東天の 水の底まで 降る紅葉<

こうすると、綺麗でしょ。あなたの発想がちゃんと言葉になると、もう1つ上がってた、惜しかったですねー。でも、本当力つけてるからビックリしますよ。

第3位


NON STYLE石田
[特待生3級]

空をひっかく 葉先から 枯るる

石田:あんまり5・7・5に囚われず作ってみたんですが、この紅葉の葉先を見たら。。。葉先から枯れていってるんですよね。それを見上げた時に、秋の空をひっかいてるように、秋の空をひっかいてるところに冬がいて、冬に触れたから枯れていってるのかな、みたいな雰囲気で作らしてもらいました。


夏井先生:自由律(俳句)がここで出るとは思いませんでしたよ、ホントに。しかもあなた、空をひっかいたところから冬に触れて枯れていく、その発想が詩じゃないですか。でね、自由律(俳句)というのは、なんでもかんでも逸脱すればいいというものではなくて、自分の言いたいことを言おうとしたら、この音数で言えていると確信がないとダメなんですよね。見事に自由律をやれていることを強く褒めたいと思いますね。
で、もったいないことも少しあるんです。自由律がなぜ難しいかというと、(定型句は)五七五で音のバランスを取ってくれているんで安心して使っていいんですが、自由律(俳句)は自分でそれのバランスを取らないといけない。で、一つ問題なのは、ここの“枯るる”っていうのは、連体形といってこの下にもう一つ言葉がある言い方になってる。言い切りの形は「枯る」で終わりなんです。ですから、枯るという風に言うと全体のバランスがちょっと崩れるので、その場合は“を”がない方がいいかもしれない。

空ひっかく 葉先から 枯る

こんな言い方になりますね。“枯る”というのは書き言葉になりますから、“から”を“より”にすると全部が書き言葉になります。

空ひっかく 葉先より 枯る

かなり格調高いカッコいい言い方になります。逆に、話し言葉で書きたいなと思ったら、ここを“枯る”じゃなく、普通の言い方“枯れる”にすればいいんです。その場合は“を”があった方がバランスが取れます。

空をひっかく 葉先から 枯れる

どっちがいい?
石田:僕、“枯れる”かもしれないですね。
夏井先生:あなたのご意見を尊重して、“枯るる”を口語“枯れる”にすると、この文法的なミスというのがなくなる、そうするともう一つ上にいったかも。惜しかった―。
果敢な挑戦に拍手、素晴らしい!

※自由律俳句とは。。。五・七・五の定型俳句に対し、定型に縛られずに作られる俳句を言う。

第2位


横尾渉(Kis-My-Ft2)[名人2段]

千年の 樹海の風と 枯葉の香

横尾:富士の樹海に行ったときに、自然の凄さに圧倒されて、吹いてくる風、そこに乗ってくる匂いとかで、歴史だったり、自然の素晴らしさを伝えられたらな、というかんじの詩になってますね。


夏井先生:あの一枚の紅葉ですよ、そこから“千年”という時間、樹海”という場所、こうゆう所に発想が飛ばせるというのは大したもんだな、とビックリいたしましたね。丁寧に見ていくと、“千年の 樹海の”という時間、場所、“風”という皮膚に感じる動きですね、ここら辺をひとまとまりでフレーズを作って、そしてこっちは“枯葉”、枯葉と言えば映像かなと思ったら嗅覚“香”に持っていくという。これで一つのパーツがある。それを“と”という1音の助詞でくっつけるという、こうゆう型に挑戦しているんです。かなり型の勉強をはじめられたんじゃないかなぁと思って、それにも感心をしております。これ、映像も非常にしっかりと見えてきますね、枯葉のころころ転がっていくような映像も見えてきますし。さらに、風の“か”、枯葉の“か”、香の“か”と、“か”の音を最後に散りばめることでリズムが出来ている、と。よく考えてました。
(直しは?)ありません。

優勝


東国原英夫
[名人4段]

紅葉燃ゆ 石見銀山 処刑場

東国原:世界遺産になった石見銀山、あれね、世界遺産になってから処刑場が案内から消えたんです、負の遺産だから。でも、そこには処刑場が何百年あったんですって。そこに、そこで処刑された方々の怨念・情念、恨みつらみというのは、今をもって紅葉が燃えるようにあらわされているという状況を詠みました。
石田:“紅葉燃ゆ”だけで紅葉の赤さは十分伝わってるんですけど、“処刑場”という言葉を持ってきたことによってより赤く見えるというか。。。それがすごいな、と。


夏井先生:石田さんの仰る通りですよ。もう一つ言わせてもらうと、赤いものに対して「燃える」っていうのね、私しょっちゅう言うでしょ、「燃える」「踊る」「染まる」は凡人がすぐ使うやつだって。ボロボロに言ってますけど、“紅葉”に対して“燃ゆ”と言い切って成功してる句に出会えて嬉しかったんですね。俳句で使っていけない言葉はないといつも言いますけど、ちゃんと活きるような使い方をすれば、赤いものに対して“燃ゆ”と言い切ってもちゃんと活きるわけですよ。なにがいいって、“石見銀山”とゆう、この固有名詞が活きてますね。銀を掘り出したかつてのその場所、歴史的な背景もこの固有名詞でボーンと出てまいります。ここで働いてる人、あるいはそこの山の光景を描くのかなと思うと違うわけです。最後“処刑場”とゆう場所がでてきます、ここで暮らして死んでいったさまざまな人たちの悲しみと恨みと怒りとか、そういうものもこの処刑場という言葉で出てきますよね。もう一つ言うと、この“銀”と“紅葉”の色彩的な対比というのもサラッと詠めてるという、そこもいいですね。で、感情的な処刑場が、さっき石田さんがおっしゃったように、これが“紅葉”という季語をさらに鮮やかにする。もう一つ、東国原さんのお話で私が共感いたしましたのは、「負の遺産」だから消してしまうのではなく、こうゆう俳句に残すことで、そういう思いを作品を通して、これから後の世の中の人に伝えることができる、そうゆうことも考えて作ってくださるなんて、本当にカッコええと思いました。
(直しは?)直しなんてあるわけないじゃない。お見事!

sponsored link

down

コメントする






sponsored link