“プレバト俳句”再視記(さいじき)

バラエティ番組「プレバト」の人気コーナー『俳句ランキング』を振り返り。芸能人たちの才能と、毒舌・夏井いつき先生の評価や、いかに!?

綱引き(10/19放送分)

time 2017/10/20


◎今週の俳句テーマ『綱引き』

最下位:才能ナシ


鈴木亜美
[35点]

金色の 在りし日思う 悔し泣き

鈴木:運動会で、小学生の時なんですけど、高学年に入った頃、私は成長期に入って、急にかけっことかも遅くなったんです。で、運動会も終わるころ、日が沈むころに隠れて泣いてました。


夏井先生:全て抽象的で、映像はかけらだけしかありません。これは、なにが抽象的か? 上五、中七ですよ。カッコいいことを書いたつもりだというのは重々わかるんですけど、これ見て運動会の光景なんてひとっかけらも出てきませんね。わかるのは、悔し泣いたんだな、この人は、ってここだけなんですね。ひとまず季語入れよう、季語ぐらいは入れよう。そう、「運動会ぐらい入れろ!」と言いたい。どこに入れるかといったら、ここに入れるしかないです。“運動会の悔し泣き”。これで“うんどうかいの”7でしょ、“くやしなき”5で、俳句の2/3ができました。
残念ながらこれ“金色の在りし日思う”は帰っていただきましょう(消す)。
そしたら、あとは運動会の悔し泣き、なぜこの人が悔し泣きしているのか、どういう状況で悔し泣きしているのか、書けばいいだけなんです。いまお聞きすると、あなたが語った中に使えそうな言葉ありました。夕暮れになったら泣くんでしょ? じゃあ、ここに“夕暮や”って書いたらとっても悲しそうでいいでしょ。

夕暮や 運動会の悔し泣き<

ひとりでめそめそ泣きながら帰っていくんだ、そんな子が見えてきますからね。自分がペラってしゃべったことの中によい俳句のタネがあるということですから、そこをしっかり見つけ出すのが大事ですね。

第4位:凡人


川島明(麒麟)
[50点]

母の愛 ひじきを笑うな 赤とんぼ

川島:運動会と言ったら、僕ら運動できない人間からしたら、お昼ごはん。ゆうたら子どもが好きなのは唐揚げ・卵焼き・ハンバーグなんですけど、一生懸命お母さんが作ってくれたひじきとか、筑前煮とか、そんな渋いラインナップだったんですね。で、お母さん一生懸命作ってくれたんだと思って隠れて食べてたんだけど、赤とんぼに見られてるような気がして、隠れて食べてる、みたいな。。。
東国原:運動会の情景が全然伝わってこないな、と。“ひじき”というのはおそらく春の季語だと思うので、“赤とんぼ”と季重なり、でも強弱をつけていれば大丈夫なので、まぁ、大目に見てられたのかなぁ、と。


夏井先生:いやー、頑張ってるんだよ、これは。あの写真から弁当のひじきを思い浮かべようとしてる。頑張った結果、とっても普通な感じになったというところが悲しいんですね。まず、なにが悲しいってね、“母の愛”って完全に説明です。全部俳句読んだ人が『あっ、この人は母の愛を感じてるんだな』と読み手の側が気付く、思うことをそのまま書くというのは、俳句では野暮なんです。ここはあなたの心の中で温めて頂くしかないですね。(“母の愛”を消す)
さっきのひじきの問題ですが、(東国原)名人が全部解説してくれました。ひじきというのは春の季語だけども、こっちの“赤とんぼ”の方が主役になってるから許容範囲であると。よく勉強なさってます、さすがでございますね。名人として、もう一つ指摘してほしいのはここですね、“ひじきを笑うな”、真ん中の7音が8音になっている。これは“を”を取るだけでいいですね、何の問題もないですね。となると、率直に書けばいいんです。何のひじきなのか、弁当の中に入ってますよって。

弁当の ひじき笑うな 赤とんぼ

そうすると、母という気分と、赤とんぼの郷愁とべたつきになってるのが少しだけマシになりますね。まぁ、もちろん“弁当の ひじき笑うな 運動会”とやってもいいんですよ。でも、ご本人が一番言いたいのが『母の愛』ですからね、そうゆう意味で“赤とんぼ”で郷愁を描くというのを残してあげてもいいんじゃないかな、という気がしますね。
ま、凡人的な一句でございました。

第3位:凡人


宮田俊哉(Kis-My-Ft2 )[65点]

力む手と 火薬の匂いの 運動会

宮田:運動会、綱引きといったら、力を入れる。あと、ジャニーズでも毎年野球大会とか運動会をやってるんですよ。そのときのことをちょっと思い出して、ピストルの火薬の香りがするなぁと思ったんで、ちょっとそれを合わせてみて、最後にそれはなにかと言ったら“運動会”みたいな、句にしてみたんです。


夏井先生:運動会を詠もうとしたときに、色んな種目・競技・場面、それから音とか感触とか匂いとか、色んな切り口がありますよね。その中から、手の感触と火薬の匂い=嗅覚と、この2つに絞って運動会を象徴しようとした、その意図はわかりますし、そこは褒めたいな、と思いますね。ただ、ここの中七というのは極力8音(はダメ)というのはそろそろ覚えてくれてもいいんじゃないかなと思います。これ、簡単にやろうと思ったら“の”を消すだけでいいんです。ね、そうするとご本人の言いたかったことはひとまず出ます。まぁ、このまんまおいておいてもいいんですが、少しだけ臨場感を出すのであれば、“力む手と”ではなくて、“力む手に”として、“火薬の匂い”を“匂う”とします。

力む手に 火薬の匂う 運動会

こうすると、生々しさが変わってきます。運動会とはこうゆうものと定義するよりも、あなたがやろうとしたことは定義をしようとしたんですね、それよりも『いま私の力んでる手に火薬が匂ってます』って書いた方が、季語が生々しく際立ってくるかな、とそんなかんじがいたしますね。
でも、凡人的なところでウロウロはしてるけど、1つずつなんか小さく前には歩いてるような感触はありますよ。このまんま、もうちょっと歩幅上げてくれたらいいなと思います。
浜田:ちょっとお前、小股すぎんねん!
一同:(笑)

第2位:才能アリ


波乃久里子[73点]

走り終え サンダル探す 運動会

波乃:甥がね、まだ幼稚園の時私が運動会行ったときに、『父兄でどうしても出てくれ』って言ったときに、スカートにサンダルだったんです。で、サンダル蹴散らかして、スカート握りしめて、1等取ったんですけど。あとに、蹴散らかしたサンダル、どっかいっちゃって探した、そういう句です。


夏井先生:もう本当に”あるある”感が満載というか、実感に溢れているというか、こうゆうのを俳句の妙味というやつだと思いますよ。あのね、現実的に“走り終え”で“運動会”なんて句はね、そこらへんに山のようにあると思います。中七の“サンダル探す”という、ここだけで、私はね、借り物競争だと思ったんです。『メガネのおばさん』って札があったら、指名されてワーッとか言って出ていってサンダル蹴散らかして、みたいな。そうゆう種目まで見えてくるような気がいたしましたね。そして、運動会っていうと走るときに緊張感とか、そうゆうところを詠みたがりますけど、終わったあとしょうもないでしょう、サンダル探す姿が。でも、これもまた“運動会”という季語の現場の中のひとつの出来事として、ありありと見えてきますね。もう本当に才能あります。素晴らしいと思います。
(直しは?)いらない、いらない。

第1位:才能アリ


武井壮[75点]

子らの引く 綱の雄々しく 匂ひけり

武井:運動会で、体がまだね、か細い子どもたちが一生懸命、こう綱を引いてる姿を見ていて、太陽に照らされてジリジリしてる中、こうジリジリ進む地面の砂とかも巻き上げつつ、なんか綱引きの感じが細い子どもたちなんだけど雄々しく、ちょっとたくましく見え始めたみたいな、そんな情景が匂いになって届いてくる、そんなことを句に詠んでみました。
東国原:高度だ、これ。季語がパッと見たら見当たらないんですよ。運動会とか、そうゆうのがあったらいいんですけど、綱引きというのは新年の季語なので、でも“子らの引く”というのを全体として運動会と捉えられたのかなぁ。“雄々しく匂ひけり”、これは素晴らしいですね。これ、俳句の番組やってるだけあるねぇ。
一同:(笑)


夏井先生:この句もよい句なんですが、いまの名人もよく勉強なさってますね。綱引きが新年の神事であるということ、よくご存じで、いま聞いててビックリしました。綱引きって、元々村同士が穀物とか野菜とか、収穫の吉兆を占う、みんなで綱引きしたのが始まりなんですね。だから、新年の季語になってるんだけど、この句を見た時に運動会・綱引き、そうゆう言葉は入ってないんですけれども、どう見ても新年の神事の綱を引いてるとは思いませんよね。子どもたちが出てくる、“引く”という動作が出てくる、何を引くのか、“綱”が出てくる。子らが綱を引く、あっ、運動会の綱引きかもしれないなとここまでで思う。すると“雄々しく”というのが子どもたちなりに一生懸命雄々しく引いてんだなと思うと、“雄々しく”は“匂ひけり”に掛かっていくわけですよ。
この言葉がこっちに繋がっていくという、この辺の技術的な部分が大変よく考えていらっしゃる。“雄々しく匂ひけり”、全部読んだ瞬間に引く綱の、ほら独特の匂いするでしょ、綱引きの綱って。それとか土埃の匂いとか、そうゆうものがちゃんと匂ってきますね。最後“けり”でパンと止めたとこもお見事だと思います。
俳句の番組やりだすだけで、こんなに急に上手になるの? ビックリしました。
(直しは?)ない、ない、ない、ない。

名人4段


東国原英夫
[現状維持]

運動会 テントの中の 車椅子

東国原:これはね、読み手を信用しました。問題提起です。運動会のテントの中に車椅子が置いてあるんです。この車椅子に人が乗ってるのか、乗ってないのか、乗ってないんだったら、この車椅子の持ち主、乗ってる子はどこにいるんだろう? おそらく大会関係者の横の席にいるんじゃないかなぁ、と。そして運動会を見ている、悔しいだろうな、参加したいだろうな、その気持ち。あるいは、その車椅子はケガ用なのか、どうなのか、わからないけども、僕は車椅子乗ってる子が横の関係者席なんだけども、なんかね、悔しい、切ない思いがあるんじゃないかな、というのを、見事に詠んでみました。
一同:(笑)


夏井先生:この句の評価のポイントは、中七“テント中の”という表現の是非です。
(描写が)雑です。ひさしぶりに雑です。凄く丁寧な描写を、ずっとここのところやってきてくださって、感心してたんですが、久しぶりに雑です。いま、語ってくださった、色んな車椅子の表情ありましたね。あれを、ちゃんと言葉にすべきですよ、ここは。読者を信用するとか、信用しないとか、そうゆう問題ではありません、これは。ただ雑なだけ。例えば、運動会のテントに小さな車椅子が置かれている、あるいは車椅子に乗った子がいるっていうんなら、“小さき”にすればいい。“の中”がとにかくダメなんです。

運動会 テントに小さき 車椅子

って言ったら、小さい車椅子の子が体操服着てるけどちょこんと座ってる、そんなかんじでしょうかね、みんなの中にちょこんとね。
例えば、“ぽつんと”とやりますよ。

運動会のテント ぽつんと車椅子

こうすると、運動会にテントがあります、みんな競技に行っちゃってぽつんと車椅子の子だけが残ってます、と。そうゆう細やかな表情、いくらでも表現できるんです。

運動会 放送席の車椅子

そうすると、かけっこはできないけど、放送のお仕事なら手伝えるかなって、そうなるでしょ? だから、そうゆう細やかなところを切り取ってこその名人です。これでは話にならない!

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